浦井 憲 の個人的なページここでは完全に公的な情報から少し離れ、研究を中心としたいくぶん個人的 傾向の強い、場合によっては趣味的範囲にまでおよんだ情報を発信します。 |
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Ken URAI, Professor of Economics Graduate School of Economics, Osaka University
浦 井 憲
email: urai@econ.osaka-u.ac.jp |
私の書き物の中でも、純粋に学術的な意味合いの強いもののリストとコメント、等々です。網羅的に仕上げるつもりですが、いまのところ(自分でも把握できていないため)一部のみになっています。 著作には、最新刷に対する正誤表など追加的修正情報も含まれるようにする予定です。 論文は未発表(作成中)のものに加えて、既発表のものの修正・改訂版が置かれていたりもするようにする、これも予定です。(2002.9.7)
研究者たるもの(研究者で無い場合も)自らの仕事の道具を確保しつつ、なおかつ下らない「進歩」「発展」「バージョンアップ」などというものから隔絶して身を守る方法を考えなければなりません。 一つの方法は、OS を Linux に、文書はテキストしか使わず ... と、言いたいところですが、かといって私も Microsoft の OS を使わないで済むかというとやはり使っていますし、Linux や TeX, LaTeX ならバージョンアップが気にならないかと言えば、やはり大変気になるし、気に入らないわけです。 ここには、そういった気に入らないだらけの環境の中で、苦労した足跡のいくつ か、が置かれているようにするつもりです。(2002.9.7)
人間を、ひいては社会を動かしているものの中には、われわれにとって理論化で きている部分と、まだ(あるいは永遠に)理論化できていない部分があります。 私達はその理論化できてない部分というものに興味を持つので、それがまた理論 家が理論を形成する原動力であったりします。 したがって理論家は決して情緒を忘れるべきでないのですが、問題は「時として、 理論化しない方が説得力があるのではないか」と思われる場合というのが、多々 あるということです。 ここにはそういった、理論化できていない(される見込みもない)ものが、理論 化できていないままに、置かれているように、したいと思います。(2002.9.7)