2019年8月7日方法論部会セミナー『医療・国家・財政と経済学理論における課題』のまとめ

今回の方法論分科会では、「医療」と「国家財政」の問題をテーマとしました。

方法論分科会のセミナーにおいては、過去数年に渡り「貨幣」と「国家の信用」という問題を
経済学理論と学問の方法、そして歴史、社会学、哲学的議論の橋渡しとなるテーマとして設定
して来ました。そうした過去の議論とのつながり、そして今後に向けた発展ということも含め
て、今回の全体討論を以下のようにまとめてみました。

不十分な点も多いと思います。引き続き、以下で議論が進展すれば、大変有難く存じます。


● これまでのセミナーとの関連

貨幣というのは明らかに「取り違え」の代表例であり、同時にまたそのような取り違えを無く
して世の中が回るとも思われない、いうなればコミュニケーションの媒介としての究極的取り
違えであるという要素も秘めています。純粋理論上の貨幣と国家の信用との間に線引きをする
という議論もありますが、現実に我々が手にしている貨幣は、日本という国家、あるいは米国
という国家等々、国民国家の信用です。これらの区別は大切であり、純粋理論的な貨幣の話も
大切なものですが、もしその議論を現実世界に存在する貨幣に無分別に当てはめるなら、それ
こそが取り違えを招くことになります。

純粋理論的な貨幣はあくまで極限における貨幣であり、そのような「極限」とどのようにつき
合うか。それは「遊び」と「真剣」の問題として、また貨幣をバブルと見て「蕩尽」の問題の
中で取り扱った、今春のテーマでもありました。


● 今回の総括として:価値財としての公共財

今回の議論は様々な形で、取り分け経済学理論の観点から、上述のようなここまでの話を引き
継いでいます。赤字財政の問題は国家信用の dynamics に関わる問題であり、公共財の問題は
国家信用の existence に関する問題です。貨幣を含む公共財の一般均衡モデルは、純粋理論
的な貨幣と国家信用としての貨幣の間に直接的関係を提供します。故に今回の議論は、この先
更に「純粋理論的貨幣=国家の信用」の立場から深められることになるでしょうし、またその
枠組みは、財政問題と金融問題を総括して「国家」を論ずる際の基本を提供するものになり得
ると思います。

今日の日本において、財政の問題を考える上で最も重大なのが「医療」であることは、恐らく
議論を待たないでしょう。今回、医療と財政にまつわる問題のスペシャリストとして、森井氏、
後藤氏、小林氏からの問題提起は、今日の医療の「公共性」ということを今一度明確に捉え直
す必要性、そのための多くの具体例、ということに帰着していたように思われます。

そして公共財という意味では「価値財」として(そのような社会的合意があるとして)の医療
の位置付けがまず必要であり、加えて、憲法25条の枠組みの下でのその公共財「化」(普遍
的かつ十全に行き渡らせる)ということを考えるというのが、その重要な前提になると思われ
ます。


● 基本モデルとして:公共財と貨幣の一般均衡モデル

そのような定式化の下では、赤字財政というのは社会全体の「最適性」ということにとって何
ら問題ではなく、問題はむしろ公共財でないもの(上の意味での社会的合意のあるべき意味に
おいて)が公共財として提供される問題ということに、帰着します。(医療費は公共財の価格
を個人がその個人価格 ---医師による診断を通じてその個人におけるその商品への選好の度合
いが科学的に裏付け証明されている--- をもって、リンダール均衡的に最適なものとなります。
医療の公共性ということをきちんと社会的合意にできれば、村上さんの提示した公共財の一般
均衡モデルをもって、そういう最適性の実現が可能と言えることになります。)


● 今後への糸口として:メカニズムデザイン

同時に、価値財の提供が市場を通じて成立しないのであれば、メカニズムデザインというのは
そこにこそあるべきです。思えば、政府には診療報酬という「価格」決定の権限があるのです
から、そうである以上(メカニズムデザインと言うまでもなく)あるべき治療への誘因を操作
する術を既に握っているわけであり、たとえ治療方法を直接に強制することができなくても、
絶望することはありません。そこに向けたインセンティブを与えることは可能です。全体討論
での長久氏と森井氏のやりとりから、そういう可能性が明確にされたと思います。また、政府
がそのような工夫をしていないとすると、怠慢ということになります。終末期医療、精神医療、
癌治療などにおいて、そういったインセンティブを工夫できないのか、考える必要があります。


● 残された問題(1): 経営

また病院をはじめとする医療組織の「経営」ということにおけるガバナンスの不十分さの問題
(臼井氏)も重要な指摘であったと思います。これは「経営」学の「本流」に関わる問題でも
あり、是非ともこの先、次回以降に引き継ぎたいテーマです。


● 残された問題(2): 知

最初に述べた「価値財」としての医療の「社会的なコンセンサス」のためには、一般の人々に
おけるリテラシーも重要であることは言うまでもありません。情報については、まず疑うこと、
保留すること、そうしたことこそがあるべき常識として、本当の「知」の根源になっていかね
ばならないのではないかと思います。これについては、さらに遠くにあるべき(方法論研究会
としての)テーマであると思います。


● 残された問題(3): 老い・衰え

また最後に、そのような「価値財」の社会的コンセンサスを成立させる上で、老い、衰え、と
いった問題に我々がきちんと向き合うことは必須とも言えます。今回は時間が全然足りません
でしたが、これは今回の問題提起に向けた、「具体的な道筋」の一つとして、機会あればまた
「医療」をテーマにした議論の場を持ちたいですし、そこで議論ができたらと願っています。

浦井 憲 2019/09/09(Mon) 00:36 Home No.213
Re: 2019年8月7日方法論部会セミナー『医療・国家・財政と経済学理論における課題』のまとめ
浦井先生

おまとめいただいたものを拝読しました。

先生が書かれているように、今回の議論で明らかになったことの一つは確かに「医療の公共財化」という恣意ないしは社会選択であります。

このことに関連するものとして、ちょうど、花粉症のお薬を保険適用外にしようとする保険組合からの提言があり、それについてのニュースが流れています。
http://www.news24.jp/articles/2019/09/09/07496914.html

今朝、当直先で見たニュースでは、6割の人がこれに反対しているとのことでした。おそらく1000円する薬があったとして、保険が効くなら3割負担、つまり300円で済むではないか?という理解によるものではないかと思われます。しかし、もちろんこれは300円から1000円への値上げの話ではありません。窓口で払われない700円も、結局みんなで払っているのです。

ただ、医師がこのような保険適応外の動きに反対するのは理解できます。処方料や診察料という収入が減ることになりますから、自らの収入源を守りたいと考えるはずです。それ自体は、自己の利益の最大化への努力ですから、今更否定しても始まりません。

恐らく既得権益に浴したい医師は、医師の処方でなければ副作用のチェックができない、とでも反論するでしょう。しかし、実際アメリカではほとんどの抗ヒスタミン薬がOTC(オーバーザカウンター、つまり薬局で買える薬)となっていて、それで社会は回っています。日本でも一部の抗ヒスタミン薬がすでにOTCになっていますが、片方で70%オフ(=保険適応)のレジを残しているのですから、普通はそちらのレジに並びます。病院に行っている時間のproductivity lossが大きいと考えれば、薬局で買って済ませることもあるでしょうが、さっと処方せんを出してくれるクリニックがあれば、処方料と診察料を上乗せしても窓口払いとしては確実に安く済みます。

話を戻すと、ほとんどの抗ヒスタミン薬は非常に安全な薬です。OTCにしても問題はありません。副作用リスクがある薬は、そもそも製薬会社がOTCにしたがりません。アレロックという大変よく効く抗ヒスタミン薬がありますが、肝障害の副作用が知られており、医者でも出すときにかなり注意します。国はOTCにすることを許可しましたが(一般用医薬品といいます)、製薬業者の判断でいまだにOTCとしては発売されていません。

しかも、保険適用(≒通常は医師が処方する薬)としたからと言って、医師がきちんとその安全性を確認しているというのも、現場の臨床を知っている者から言わせれば幻想です。全く不必要に漫然と抗ヒスタミン薬が処方され続けている例はしばしばあります。これらのほとんどは、「患者がその処方を求めているから出す」というプラクティスの帰結なのです。私はこれを「言いなり診療」と呼んでいます。「医師の目を通す」ということの幻想を売って医者は商売をしているのです。

花粉症は死ぬ病気ではありませんが、それを患っている人にとってはとてもつらい症状をもたらす病気です。一定の投薬が必要である点で、ほとんどの風邪薬よりは「治療薬」としての価値があります。しかし、安全性が高く、決められた飲み方をしている限りにおいては、まず問題は起こりません。これは、例えば卵やパンやお酒の価値とあまり違わないと思います。お薬なのでアレルギーなどの副作用が出ることがありますが、小麦や卵で蕁麻疹が出る人もいます。お酒の飲み過ぎで死ぬ人もいます。

300円か1000円かという近視眼的な話ではなく、300円に隠れた処方料や診察料が本当にその価値があるのかどうかを、国民自身が理解しないとこのような無駄は続くのだと思います。医師のはしくれとしてはそれでもいいですが、国民の一人としては全く納得できない話だと思っています。

今回の議論を私なりにかみ砕いて、医療者を読者とする媒体に書かせていただきました。
明日(9月10日)の日経メディカルオンラインというものです。上記内容よりは品のある書き方をしたつもりですが、この問題を多くの人と一緒に考える一助となることを願っています。日経メディカルオンラインは、登録が必要ですが無料のサイトです。登録している間は一日に数度メールが送られてくるのがやや鬱陶しいです。

森井
森井 2019/09/10(Tue) 11:36 No.214
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